株式会社小田島組 株式会社小田島組

ハローオーツー ハローオーツー

Blog
ブログ

オダピン社長ブログ

2023.09.20【日本の自殺】

【日本の自殺】*長文注意

私の経営の師匠は小山昇さんです。地元の、経営の兄貴分と私が勝手に慕っているのが望月郁夫さんです。岩手で一番毀誉褒貶が激しい経営者だと思っています。やることなすことが、いちいち派手ですが、実はかなりの知的な兄貴です。会うごとに「今度はこの本を読んでみたら」と本を手渡されます。
#セットでウイスキーもいただいています

かなりの読書家であり勉強家でもあります。
#私なんかが言うのもおこがましいですが

先日、タイトルにある「日本の自殺」と言う本をいただきました。これは「文藝春秋」の1975年2月号に掲載された論文です。今から約50年前の「日本の衰退」を「ローマ文明の滅亡」になぞらえて説明したものです。要旨としては
「ローマ人が、為政者に『パンとサーカス』を求め、為政者もその人気取りばかりになり、ローマ文明は内部から崩壊した」と言うものです。『パン』とは生きるためのもの、と言う意味であり『サーカス』とは、食べるだけでは楽しくないからと求めた娯楽、のことです。つまり、政府に対して
「食べ物をくれ」
お腹いっぱいなったら
「娯楽をくれ」
と、市民の権利だけ主張して、為政者もその人気取りに走った。結果、納税という義務より、はるかに大きな権利という支出が大きくなり内部崩壊したのです。この、義務を果たさず権利のみ主張することを「幼稚化」と表現しています。パンをくれ、サーカス見せろ、ダメならあちこちのものを壊して泣き叫ぶその様が、まるで幼児と一緒ということですね。

そこであげられている具体例があまりに現代と酷似していて、戦慄を覚えました。

ガソリン高いから補助金だせ(→これって税金を産油国に払っているのです)
医療費が高いから補助を減らすな(→高齢者(選挙民)の言いなり)

幼稚化した市民の言いなりですよね。
そして、次の表現がありました。
(1975年の話です)
「子捨て、子殺しの多発」
子供を殺した母親に対して「彼女が可哀想だ」「そんな環境にした政府が悪い」と、そもそもの罪に向き合わない。何でもかんでも悪いのは為政者である。

これって、そのまま現代にも当てはまる気がします。
そして、次です。

環境汚染から情報汚染へ

「放射線漏れ」と「放射能漏れ」を区別できない市民に対して(放射線漏れはレントゲンをとることと同義)
「昨年春、社会党のある県議は漁民の集会でぶっていた。『放射能は恐ろしいよ。「むつ」が湾内を汚すだろ、それが溜まりに溜まってな、一定の限界に達すると、ドカーン、核爆発を起こすんだ』県議は後になって新聞記者の私がそこにいることに気づき『この程度に話を大きくして聞かせんと、原子力について無知な漁民は意のあるところを理解してくれんのでな』と照れ笑いをしながら耳打ちしてくれた。

→「むつ」とは原子力船でなんの罪もないのに「原子力」という言葉だけに反応され51日間も湾に入れず漂流した、というのです。
あまりに、福島の原発事故の処理水の放流に酷似していませんか?思考停止した状態が生んだ悲劇です。

また、生徒に優劣はない。とオール3をつけた教師がいたそうです。そもそも人間の能力に差があるのを認めずに、数値化できない、と。これも、徒競走で優劣つけるのは可哀想だと「一斉ゴール」していることと同じですよね。

年上世代が若者世代に必要以上に媚び諂ってはいけない、という警告もありました。年下世代が、努力をして年上世代を乗り越えなくてはいけないのに、そもそも努力を放棄させて無血開城のようなやり方が、若者世代を弱くしている、というのです。これもまた、現代に当てはまります。確かに、若者世代は人口が少ない。だからと言って、我々世代が無条件に世代間闘争を放棄してはいけないと考えます。医療費を増やせ、はただのおねだりですが、我々世代も未来への責任があり、その責任の果たし方については、若者とも議論していかなくてはならない。無条件に「若いから正しい」ではいけない。そして、できるなら私たち世代を正面から突破する若者を待望しています。

さて、これが50年も前に日本人に警告されていたことは、驚愕に値すると思います。ローマ人は、外的ではなく内部から崩壊した。実は、さまざまな文明というものは一義的には外部から攻め落とされたとなっているいが、実はその前から内部崩壊が始まっていて、外敵からの攻撃は「最後のトドメ」に過ぎない、というものです。

これって、会社にも当てはまるなと、身につまされました。我々は、ライバルと市場で戦っている、と定義されています。会社が潰れるのは、ライバルに勝てなくなったからだ、と。しかし、ライバルに勝てない理由のかなりの部分が「内部崩壊」ではないでしょうか。そもそも、勝てていたのに勝てなくなること、これを内部崩壊と呼ばずしてなんと呼ぶでしょうか。そんなことを思い、愕然としたのです。

経営者として恐るべきは、まさにこれだと。環境の変化、ライバルの攻勢、社会情勢の悪化、どれも恐ろしいものです。しかし、内部さえしっかりとしてれば対応できるのですね。

繰り返しますが、50年も前からこのように言われていること。実は、表現を変えて紀元前(2000年前)からも言われていたようです。詳しくは、この本に譲りますが、組織、文明、会社、全てに共通する

普遍の定義

みたいなことを知った、と興奮してこれを書いています。

兄貴、ありがとうございます!!